出会ったときから貴方は、何か特別なような気がした。
それが私だけにとって特別なんだと知ったのは
世界が煌めいた、あの日から。
ショコラ
東の空からサンサンと降り注ぐ煌めく陽光が眩しくて、その日私は、早朝に目が覚めた。
低血圧の私は、朝目覚めるとチョコレートを一欠片食べる。
そうすると血が温まり、私の一日の活力になるのだ。
その日も勿論、一欠片を口に含み、ふつふつと熱くなっていく体中を流れる血液を感じながら、ようやくベッドから起き上がった。
ベッドのカーテンを開けても、他のカーテンは勿論閉じていて、私は当たり前かと小さくため息を吐いた。
着替えながら窓の外を見ると、薄青の空が、朝霧と混ざってタフタのように広がっていた。
私を起こした陽光はまだ地平線の近く。
本当はまだそこまで明るくなかったことに驚いた。
折角早起きしたのだから、今この景色を独り占めしないと勿体ない。
私は、予備のチョコレートを持ちそっと部屋を出て、庭へ向かった。
目覚めたばかりの世界はあまりに美しく、
この世で地に足を着き、呼吸をしているのは自分ただ一人のように思われた。
気分良く芝を踏みならしながら歩いていると、緑の地に一ヶ所だけ、黒く盛り上がっているところがあるのを発見した。
何かしらと足をそちらの方へと向けた私は、それが人だと判ると慌てて駆け出した。
こんなに朝早く、こんなところで何をやっているのだろう。
あんなところに倒れこんでなんて非常識な。
私はどこか見当はずれなことを考えながら近づくと、それが、その人がリーマス・ルーピンだと判って思わず足を止めた。
青白い顔をして疲れ切ったように固く目を閉じそこに横たわる彼は、
まるで始めからそこにある作品のように完璧だと思った。
でも、完璧なものほど不安を煽る。
唯一、彼が完璧な作品ではないことを示す、ゆっくりと上下する胸が止まってしまわないうちに、私は彼を起こさなければ。
彼の傍に膝を着き、恐る恐る名前を呼んだ。
「リーマス?」
風がふわりと耳元を掠めて、自分のつけていた香水の甘い香が鼻を突いた。
目の前の彼は、少し間を置き、ゆっくりと目を開いた。
「・・・?」
完璧とは程遠い、小さな声で私の名を呟く。
重たそうに腕を持ち上げまるで夢の中の霧を払うように私の髪に手を通した。
不意に髪に触れられて、私は一瞬ドキリとする。
「早いね」
彼は心底だるそうに再び目を閉じながら呟いた。やはり完璧とは程遠い。
私は急に、力が抜けていくのを感じた。
「リーマスこそ、何をやってるの。こんなに朝早く。死んでるのかと思ったわ」
「うん。このまま消えてしまいそうだよ」
ふっ、と流砂に飲み込まれるように彼の身体から力が抜けていくのが分かった。
私は再び慌てて、ポケットからチョコレートを取り出してリーマスの口の中に押し込んだ。
「バカ言わないで。疲れてるのよ、リーマス。チョコレート、食べて?
疲れた時には甘いものが良いのよ」
そう言って、私はもう一欠片、無理矢理彼の口に押し込んだ。
浮上して。浮上して。流砂になんか飲み込まれないで。
それはすでに、心配などではなく、願い、だった。
突然、リーマスが起き上がった。私はびっくりして後ろへ身を退く。
「ところで君は、こんなところで何をやってるの?」
怠惰を帯びた彼の視線はドキリとするほど妖しく鋭くて、私は一瞬、言葉を詰まらせた。
「何って別に・・・。起きちゃったから散歩でもしようと思ったらリーマスが倒れてて…」
なぜ、私はこんなにも動揺しているのか。
そもそも彼を心配した私がなぜ、こんな視線を向けられなければならないのか。
そんな問いに、私はだんだんと腹を立てた。
「…だからこっちが聞きたいわ!一体こんなところで何してるのよ」
彼は一瞬哀願するような視線を向けて、ふっと目を伏せた。
「僕は別に、これがいつものことだよ。ただ、疲れたなって思っただけ」
どこか、全てを諦めてしまったような声音だった。
この人は、なぜこんなに哀しいの。
チョコレートが足りないのかしら。
今朝、私が感じた幸福感を、少しでも分けてあげられたらいいのに。
私が何も言えないままでいると、彼は軽く溜息を吐き、「大丈夫だよ」と言った。
「君のチョコレートのおかげで元気になった」
本当に?
頭のどこかでそんな不安が残ったけれど、彼の優しさが嬉しくて、私は自然と笑顔が零れた。
寮へ二人、並んで帰る間、私はチョコレートの魅力についてリーマスに散々聞かせてあげた。
彼はうん、うんと相槌を打ち、本当はさほど興味がないのだろうけど、それでも時々質問や疑問を投げ掛けてきた。
それが何だか楽しくて結局寮に着いて別れるまで、私が一方的に喋り続けてしまった。
その日の朝のことは、何となく誰にも話さなかった。
上機嫌過ぎる私を、友人は変だと言ったけれど、
あの朝日の美しさや、誰もいない庭をたった二人だけで歩く気持ち良さ、彼のどうでもいいような優しさを、
全部自分だけのものにしたかった。
それから日々は何事もなかったかのように過ぎ、私たちは特別に接点があるわけでもなくそれぞれの生活を送る。
ただ、以前と違うことは、頻繁に彼と目が合うようになったこと。
私は彼の疲れたような顔見て、彼の存在に安心し、あの日のことを思い出して幸福感に浸る。
彼の儚い表情と、陽に透ける髪がとても綺麗で、
いつの間にか、意識して彼の姿を探すようになった。
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あとがき
夜がビロードと表現されるなら、朝はタフタかなと思う。
常に違う色を持つ空が好き。
ヒロインサイドで書きたかったことは芸術のような不完全。
完璧だと感じるものこそ不安を感じるということ。
例えば、ゴッホとかね。
感想・叱咤頂けると幸いです!