「あなたが好きよ」
そう言う彼女の声が好きだった。
twilight
高すぎず、低すぎず、メゾ・ソプラノと言うのだろうか。彼女の声はとても気持ちの良い音程で。
「あなたが好きよ」
歌うように言う彼女を、僕だけのものにしたかった。
"一仕事"終えたところで、僕は自分の手際の良さに満足しながら、寮へ戻る抜け道を通っていた。所々にある隙間に注意しながら、道を間違えないようにする。
何度目かの確認で、僕は彼女の姿を見つけた。
彼女は丁度、僕と壁一枚隔てたところで立ち止まり、溜息を吐いた。
何かあったな。
長年の付き合いで僕は彼女の考えていることが良くわかる。怒っているのか、悲しんでいるのか、そんな横顔だった。
何も考えずにこちらの方へ来たのだろう。彼女は来た道を戻ろうと、踵を返した。僕は急いで隙間から這い出て彼女に呼びかけた。
「」
なるべく彼女が驚かないように、温和な口調を意識する。
「リーマス」
安心した表情の彼女。僕は彼女にこの表情をさせるのが得意である。
「どこから出てきたの」
クスクスと笑いながら彼女は聞いた。
「企業秘密」
僕はにっこりと返す。彼女は軽く溜息を吐いた。呆れてるな、と僕は思う。でも、いくら彼女の質問でも、答えられないものもある。それは、仲間たちの信頼のためだ。
「どこへ行くんだい」
彼女との距離を詰めながら、僕は聞いた。
「寮へ戻るの」
「じゃあ一緒だ」
一歩、彼女を追い越した。その瞬間に、彼女に視線を落とし、にこりと微笑む。そのまま彼女を置いて歩を進めていくと、すぐに彼女が小走りで追いついてきた。
「どうせならもっと近道すれば良かったのに」
彼女が言った。時々、彼女は僕の回答を知っていて質問を投げかけてくるように思う。僕も、彼女が欲しいだろう回答を導き出す。
「なんとなく、ね。歩きたい気分」
「なにそれ」
ふふふ、と笑いながら、彼女はまるで猫がなついて足に絡まってくるように、僕の腕にぴたりとくっついてきた。
「なに?」
抱き締めてしまいたいという気持ちを抑え込んで、僕は聞く。
「なんとなく、ね」
僕の口調を真似て、彼女が言った。
「なにそれ」
僕も真似して、彼女と笑った。
愛しい。僕と彼女は、同じような感情を抱き合っている。それ故に僕は彼女の考えていることがわかるし、恐らく、彼女もそうなのだろう。
「はい」
僕はチョコレートを一欠片、彼女に差し出した。
「何か、あったみたいだから。落ち着くよ」
彼女は一瞬目を丸くし、それからチョコレートを口に含んだ。
ありがとう、と呟きながら、さらに強く、僕の腕にしがみつく。
愛しい。愛しい。愛しい。紅い西日があまりにも優しくて、泣きたくなった。
談話室に戻ると暖炉の傍のいつものソファに、ジェームズたちが陣取っていた。ジェームズは僕たちに気付くと手を揚げて自分の存在を示した。僕もそれに答えて足をそちらに向ける。シリウスとピーターが、遅れて僕たちの方を見た。
僕たちの姿を確認した瞬間、シリウスが眉根を寄せた。が隣でふん、と鼻を鳴らす。僕が彼女に目を向けると、彼女は早口に、部屋へ戻るわ、と言って階段を上って行ってしまった。
僕は察する。黒い、靄のようなものが、胸の中に立ち込めた。
「はどうしたの」
ジェームズの問いに、僕はちらりとシリウスを見て、軽く溜息を吐いた。
「さあ、」
彼が僕から目を逸らすのを見て、僕は優越感に浸る。
「君と、何かあったんじゃないの」
ピーターの隣に座りながら、僕は意味有り気に言ってみせた。シリウスが動揺しているのが判る。彼はそれを上手く隠しているつもりだけど、僕やジェームズに彼が隠し事など出来るわけがない。ジェームズがにやにやと、シリウスの言葉を待っているので、彼は若干気まずそうに口を開いた。
「そういうの、似合わない」
「は?」
ジェームズが、ぽかんと口を開けた。
「って言われた。に」
「似合わない?何だい、それ」
「さぁな。そういうのが、似合わないらしい」
シリウスは苛立たし気に言った。ジェームズが思慮深そうに言う。
「ふむ・・・。女心とは、難しいものだね」
それを聞いたピーターが、短く笑った。僕は何も言わない。
そうすることで、彼に一番の痛手を与えることが出来るような気がしたから。僕は、彼女がストレートな感情をぶつけられるシリウスに、少なからず嫉妬していた。
ある夜のこと。静かな談話室で、僕とは二人きり。僕は読書中で、彼女は夢現。肩に彼女の重みを感じながら、どのくらいの時間が過ぎただろうか。
「好き」
彼女が言った。
「何が」
「あなたが」
夢現の彼女は歌うように答える。暖炉の炎は暖かい。けれど、僕の心は何故か冷めていた。
「ありがとう。僕もが好きだよ」
肩に預けられた彼女の頭を、軽く撫でる。暫くして彼女が再び、ぽつりと言った。
「好きよ」
知ってるよ。
「好き」
「好き」
まるで暗示をかけるように、彼女は繰り返す。
知っているよ。君が僕のことを好きだということ。
そうやって言葉にして、自分でそう思い込もうとしていること。
「好きよ」
ふと、彼女の声が途切れた。僕は何故彼女の声が途切れたかを察する。
「シリウスに、聞いたよ」
こんなことを言っても意味はないのに、何故か僕の心は冷えたままで、先日の、シリウスのうろたえる姿や、彼女が僕を好きと繰り返すことに苛々した。
「この前、言い逃げしたって?」
僕はにっこりと、微笑んだ。
「なんでいきなりシリウスが出てくるの」
彼女は不機嫌な口調で言った。シリウスの名前を出したことで、彼女の滅多に見ることの出来ない表情を見て、僕は自嘲する。
「別に。らしくないなって思って」
いいや、君らしい。思ったことをすぐに口にしてしまう君だもの。シリウスを見て、言わずにいられなかったのだろう。
君らしいよ。本当に。でも、そのことに気付いているのは今のところ、僕だけだろう。
「あなたが好きよ」
瞳に焦りの色を浮かべて彼女は言った。
「わかってるよ。僕も、君が好きだよ」
でもそろそろ、君は気付くべきだよ。
「でも、君は想っているだろう」
彼女の瞳が言わないで、と訴えている。
「シリウスを」
彼女の瞳が揺らめいていた。触れた頬は、暖炉の炎で暖められてとても暖かい。
「ごめんなさい」
音にならない声で、彼女は言った。
やっと認めた。やっと、彼女の本心を引き出すことが出来て、僕は笑い出したい程嬉しくなった。
そのまま彼女を引き寄せて、この腕に抱く。
そう。君は、シリウスが好き。
それでも僕は、君が好きだ。
暖炉の炎が暖かい。僕と君は二人きり。例えそれが一時でも、君は僕のものになる。君の温もりを感じながら、僕は、想う。
夢心地、そんな言葉がぴったりだった。
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あとがき
「黄昏」のリーマスサイド。
冒頭で出した言葉が最後まで活かされないのが駄目なところです・・・。
感想・叱咤お待ちしております。
'06.03.02筆 花