憂鬱なロメオ さあ ジュリエットを追い駆けて!
「寒い!」
少し前を歩いていた彼女が、いきなり叫んだ。
「春はもうすぐそこだというのに、この寒さは一体なに!!」
劇的な口調で彼女は叫ぶ。一体誰に向かって言っているのだろう。
「ねえ、。今はまだ二月だよ。そしてここはイギリスだ。春になるのはもう少し先だと思わないかい?」
マフラーに鼻まで埋もれながら僕は言った。
そもそもこんなにも寒い日に、わざわざ散歩をしようと言い出したのは彼女だ。
寒いと文句を言うのなら、どうして外へ出るのだろう。
大体僕は今丁度、具合の悪い時期なんだよ。君は知らないだろうけど、結構辛いんだ。
「そうかしら。でも三月になったら春ってイメージない?」
「ないね」
「即答!少しも考えてないでしょう。もう。リーマスって時々そういうところあるよね」
そんなことを言われても、そう思わないのだから仕方がない。
考えたところで三月は春だと言うことは出来ないよ。だって真実、三月は寒いもの。
「あーあ。折角リーマスが何だか具合悪そうだったから、外の新鮮な空気を吸わせようと連れ出したのに、本人はこんな、マフラーに埋もれちゃって嫌ぁね!」
振り向きざまに彼女は僕のマフラーを引っぺがした。突然の出来事に、僕はバランスを崩して前へつんのめる。それを見ては、満足そうに笑った。
冷たい空気が首元を通り抜けた。わぁ、と零した声と共に吐き出された息は白く、流された。
気付いていたのか。僕の体調に。何故か少し、嬉しく思う。
でも、僕のマフラーを奪うのはいただけないな。だから素直に喜んではやらない。
「ねえ、僕の体調を心配しているのなら君は、僕を労わるべきなんじゃない、?」
病人は室内で大人しくさせておくべきだよ。と顔を顰めて言ってやった。でも彼女はそんなこと気にする様子もなく、にこりと笑った。本当は自分が外に出たかっただけなんじゃないかと思ってしまう。
「でも、談話室は息苦しいでしょう。寝室だって一人にはなれないし。ほら、」
そう言って彼女は両腕を広げた。
「こうやって大きく、深呼吸するんだよ。深く、深く、肺の奥まで冷たい空気を流し込むの。そうするとほら、何かが一つ、吹っ切れた気分」
得意気に微笑む顔を見ながら、彼女を真似て深く、深呼吸をしてみると、なるほど何かが、洗われた気分。でも、僕の憂鬱の根本的な解決には決してなりはしない。僕が曖昧に微笑むと、彼女は眉間に皺を寄せた。
そして突然、走り出した。
「!?」
僕は虚を衝かれて戸惑った。
「走って!」
振り返りもせずに彼女は叫び返す。
「走って!」
彼女の声に促され、訳も解らず走り出す。
走って
走って
走って
彼女の声が頭の中に木霊する。何の目的もないままに走り続けた。
走って
走って
走って
ねえ、。
いつまで走り続ければいいの。いい加減、苦しいんだけど。
ゼイゼイと息を切らしながら僕の肺は、一生懸命収縮しながら冷たい空気に時々張り裂けそうだった。
喉は、水分不足でくっついてしまいそう。
苦しいのと、痛いのと、何だかもう、良く判らなかった。
目の前を走る、僕よりも格段に小さい身体の彼女のどこに、こんな力があるのか。
君は、苦しくないの。
「・・・っ・・・・・・!」
何も考えられなくなって、ようやく僕は彼女の名を呼んだ。
どうにか振り絞って出した声が、彼女の元に届いたのかは判らなかったが、彼女はついに足を止めた。ゼイゼイと肩で息をしながら、そのまま地面に倒れ込む。僕も彼女の隣に倒れ込んだ。
「はぁ・・・苦、し・・・」
胸を上下させながら、彼女は途切れ途切れに言う。
こんなに走ったんだから、当たり前だよ。僕は言おうと思ったが、喉が渇いて声にならなかった。
仰いだ空は、灰白色。
「・・・あっはっは!」
突然、彼女が笑い出した。僕はびっくりして一瞬呼吸をするのを忘れてしまう。この子、大丈夫だろうか、との顔を伺った。
「あはっ・・・!疲れた!」
また、当たり前なことを。
「リーマス、意外と馬鹿ね」
「な・・・!」
僕は半身を持ち上げてに抗議をしようとした。
「まさか、本当に走るなんて!」
「君が走れって!」
「そうだけど」
「全く訳が解らないよ」
僕は怒る力もなくなって、再び地面に寝転んだ。
「でも、気持ち良かったでしょう」
出し抜けに彼女が言った。怪訝な顔をする僕に、彼女はクスクスと笑った。
「何も考えずにひたすら走って、生きるってこういうことを言うのだと思わない、ロミオ」
「誰がロミオだい」
「走ってるときに思ったの。まるでシェイクスピアの悲劇のような怒涛だわって。だって、胸が張り裂けそうなんだもの」
胸が張り裂ける、の意味が、僕たちの場合、リアルな表現だけどね。そう思って僕は笑った。
「ああ、ロミオ!どうしてあなたはロミオなの。私を想うならお名前を名乗らないで下さい。もしそうなさらないのならロミオ、私への愛を誓って欲しい。そうすれば私は、キャピュレット家の人ではなくなりましょう」
はちらりと僕を見た。僕はとりあえず覚えていた台詞を口にした。
「彼らの剣20本よりも、貴女の瞳の方が私には恐ろしいのです。貴女の愛なしにこの命長らえるよりも、彼らの憎しみによって終わる方がずっと良い」
彼女は自分がジュリエットにでもなったかのようにクスクスと笑った。
「僕、余り台詞覚えてないよ」
この先を期待されても困るので、先手を取って止めさせようとした。
「やっぱりリーマスって意外と馬鹿ね」
二度も同じことを言われ、さすがの僕も心外だ。じろりとを睨むと、彼女は肩を竦めてみせた。
「ごめんなさい。でも、苦しい時は私のために走って、ロミオ。どうか、この世の終わりのような顔をなさらないで。私はここにいますから、走って迎えにいらして下さい」
静かな声で、彼女は言った。芝居をしているような口調で彼女が言うので、僕は必死で台詞を思い出してみるけど、そんな台詞はなかったように思う。僕が戸惑っていると、彼女はそっと、口付けてきた。一瞬触れるだけの優しいキス。彼女が何を伝えたかったのかいまいち解らない。
けれど、僕の中に愛しさが、込み上げてきた。
それはどんどん溢れ出て、海のように広がる勢い。そこで僕は思い出した。
「貴女がどれほど離れていようと、そこが遥かな海に洗われている広々とした岸辺だとしても、私は貴女のような宝を求めて旅に出よう」
ふわりと微笑む彼女に向かって、今度は僕が、そっと口付けた。触れるだけの、優しいキス。
そして彼女はこう言うのだ。
約束よ、憂鬱なロミオ。
二人の笑い声が冷たい風に攫われる。
空を仰ぐと灰白色で。春はやはり、まだ先だろう。
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あとがき
題名と内容が合ってないとか背景と内容が合ってないとか意味不明だとか、仰りたいことは重々承知・・・!シェイクスピア、読んだことないしね・・・!ごめんなさ・・・;読んで下さりありがとうございます。
感想・叱咤お待ちしております。
'06.02.18筆 花